ブログ、文章、精神、賭け

ブログ以外でも、文章を書く時ならなんでもそうだが、その行為自体が、精神を研ぎ澄ますのに役立つということがある。

書くことは賭けだ。競馬に賭けたヘミングウェイ。ルーレットに賭けたドストエフスキー。彼ら文豪はなにもギャンブルだけに賭けていたのではない。なにより、文学に賭けていたのである。
文学以外でも、文章を書くというのは賭けだと思う。世にじぶんの考えを出すということは、リスクが必然的にともなう。

つまり、原稿用紙に書きつけるにしろ、キーボードを叩くにしろ、一文一文、いや、一文字一文字が勝負だと思って書き手は記すのである。その行為自体が真剣勝負なのだ。(書き)ことばで真剣勝負をしているとき、ひとの精神は研ぎ澄まされている。精神統一の状態で、真剣勝負を、文章執筆という「賭け」を行なっている。

生きることは賭けだ。賭けであって、その行為の瞬間、精神は真の意味でひとつになる。生きることと同じく文章を書くことも賭けだ。文章執筆という賭けを行う瞬間、精神はひとつになっている。

ブログを書くことも、当然賭けである。あなたがブログを書く時、あなたの精神は研ぎ澄まされているだろうか?