話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選

地上波最速の放送局で放映された日が新しい順に列挙していきます。
各話ごとに公式サイトのリンクを貼っておくので、あらすじが知りたかったら参照してください。

櫻子さんの足下には死体が埋まっている  #11(12月16日)

http://sakurakosan.jp/story/?mode=detail&id=11

最近は、夜遅くのアニメをあまり観ない。なぜなら歳をとって夜更かしするのがキツくなったからだ。かつては夜明け前までアニメを観て、起きていたものだが……。それはそうと、深夜アニメにあまり関わらなくなった昨今ではあるが、時々は夜更かしもするし、深夜アニメの秀逸な回に出くわすこともある。その一例が今月放送された本作のこの回であった。

何が秀逸だったかというと、「映像的に鮮烈だった」としか答えようがない。不幸なことに、このアニメは録画をしていなかった。ただ、映像的に峻烈なものがあったのは覚えている。映像の基礎体力が高い。要所要所で鋭い演出を盛り込んでくる。まぁ、そんな形容をしたところで、実際の映像を傍らに置かないとイマイチ伝わらないのだが……。

「今回の櫻子さん、コンテも作画も超抜。」この回が放映された直後に、Twitterでこう呟いた。こんなことを呟いたのは、多分今年初めてだと思う。ところが、本作のハッシュタグをたどってみると、話の内容についてのツイートばかりで、コンテや作画についてのツイートはほとんど見受けられなかった。みんな、話を追うようなアニメの観方しかしていないのだろうか? と、少しがっかりした。話を追うようなアニメの観方の是非はともかくとして、年の瀬の『櫻子さん』11話の超抜コンテ作画は「発見」だった。

カードファイト!!ヴァンガードG ギアースクライシス編  #8(11月29日)

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/cf-vanguard-g2/episodes/

カードバトルアニメとしてのカタルシスに欠ける〜とか何とか、そんな批評を大昔に某掲示板で見たことがあるが、カードファイト以外の要素を味わうのが、このシリーズの醍醐味であろう。

土曜朝に再放送している『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』みたいなアニメは、カードバトルに焦点を絞っているといえる。しかし、カードバトルアニメも多様である。とくに最近はカードバトル一辺倒ではだめなようで、カードバトル以外の「付加価値」が求められているふしがある。プリキュアの裏枠に移ってしまった『デュエル・マスターズVS』シリーズなんかがそうで、破壊的なギャグで敷き詰められている相当なカオスアニメだった。ならば『デュエル・マスターズVS』から選出しても良かったのだが、あの時間帯はプリキュアを観るのだ。

この『カードファイト!!ヴァンガード』シリーズも、長いことやっているが、カードファイト以外の「付加価値」に重きを置いた、ある意味珍妙なアニメである。そういえば、この企画で初めてわたしが選んだ話は、『ヴァンガード』無印の、ミサキさんが閉ざしていた心を開くエピソードだった(4年前!)。そして、時を経て今回選出したギアースクライシス編第8話も、偶然かどうか知らないがミサキさんがキーパーソンとなる話であった。

ヴァンガード』シリーズの「付加価値」とは何か? 例えばつい最近までやっていたユナサン支部の攻防においては、カードファイトそのものよりも、「洗脳」とか「ルサンチマン」とか「思想」とか、そういったユナサン支部の監獄的な構造にまつわる諸々に、主眼が置かれていたように思う。そういった”諸々”を、なんとかして「付加価値」として解き明かしていきたいのだが……。

ヴァンガード』シリーズの「付加価値」として確実に言えるのは「日常性」だ。少年向けを意図して制作されているのだろうが、わたしの眼にはむしろ「少女漫画的」に映る。日常描写こそが、『ヴァンガード』のキモなのだ。特に主人公がクロノに変わってからは、スカイツリー、浅草といった具体的な東京の地名が強調され、いっそう日常に染み付いた作劇になっているように思える。

ギアースクライシス編8話は、迷えるトコハちゃんの話。かつて迷える小娘だったミサキさんが、迷えるトコハちゃんを暗がりから救い出す。そこにカードバトルアニメとしてのカタルシス微塵もない。しかし、8話辺りにも充満している日常臭さこそが、このアニメの醍醐味なのだ。

おそ松さん  #3(10月19日)

http://osomatsusan.com/story/story_detail.php?id=1000016

いろいろな意味で、この話をリアルタイムで観られた人は勝ち組だと思う。

これも『櫻子さん』と同じように、深夜たまたまAT-Xを流していたら眼に飛び込んできたアニメだ。衝撃を受けた。個人的には『日常』が初めて眼に飛び込んできた時以来のインパクトだった。オムニバスアニメとして、微塵の隙もない完成度だった。パロディも下ネタも、まさしく「深夜番組」のそれであり、赤塚不二夫の精神を受け継いでた。

京アニ? PA? ちゃんちゃらおかしいよ。いま、わたしの中で一番熱いアニメ制作会社はどこか。studioぴえろだ。

ジュエルペット マジカルチェンジ  #29(10月17日)

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/jewelpet7/episodes/index_2.html

個人的に、今年最大の収穫アニメは『ジュエルペット マジカルチェンジ』だった。

偶然眼に飛び込んできた第5話の「メロンパンカーニバル」に衝撃を受け、以降も破壊的な作風をニヤニヤしながら楽しんできた。ルビーが皿になったり、サンリオキャラ同士が怪獣みたいに戦ったり……。そういう破壊的な作風は、サンリオアニメとして、今に始まったものではないだろう。しかしわたしとしては、「次に何が飛んで来るかわからない」感触が食い込んできたのは『マジカルチェンジ』が初めてだった。「次に何が飛んで来るかわからない」。これ、TVアニメとして最も重要な点だと思うんだよなあ。

また、ジュエルペットシリーズの最終作品となったという事実も、重い意味を持っていた。

たぶん、全日帯アニメと深夜帯アニメの両方を十二分に楽しんでおられる方なら、このアニメから何かしら選出してくれると思うから、あえてわたしはギャグ色の強くない第29話「恋するアイドル」を選びたいと思う。どんな話かは、DVDを借りて観てみてください(おい!!)。まぁ、騙されたと思って、こういう機会に少女向けアニメを漁って観るのも良い。

29話メインヒロインたるラリマーの声優は、高垣彩陽。高垣が出るアニメにはハズレが少ない。高垣とわたしの絆が、より一層深まってしまった。

Classroom☆Crisis  #11(9月11日)

http://www.classroom-crisis.com/story/story_11.html

TARI TARI』以来、オリジナルアニメにおける男女の絡みの淡白さが、どうも気になって仕方がなかった。昨年の『天体のメソッド』にしても、わざと男女のまぐわりから眼を背けているフシがあった。

まぁ、そんなこと、「お前の主観に過ぎないだろ」と言われればそれまでだが、わたしはオリジナルアニメにおいて、男女の絡みの濃厚さを渇望していた。

そしたら本作で、霧羽ナギサと瀬良ミズキが濃厚にまぐわる回を見つけた。たしかに、アニメで恋愛は表現しにくいかもしれない。だが、オリジナルアニメにおける男女の絡みの濃厚さを渇望していたわたしは、この回を観て軽いカタルシスを覚えた。

ところで、このアニメは、所謂「名作」として語り継がれることは無いと思う。オリジナルアニメでも、『カウボーイビバップ』『カレイドスター』のように10年以上「名作」として語り継がれるアニメがある。昨年の『グラスリップ』や、このあとで挙げる『プラスティック・メモリーズ』そしてこの『Classroom☆Crisis』なんかは、そういった名作オリジナルアニメの対極にあるといってもいい。でも、いいじゃないか。そういった「波乱」を起こしたアニメがあっても。
ちなみに、わたしは漫画では『ブラック・ジャック』や『めぞん一刻』よりも、『ドカベン』や『スクールランブル』をよく読むタイプだ。

城下町のダンデライオン  #10#11(9月10日)

http://www.tbs.co.jp/anime/dande/story/story10.html
http://www.tbs.co.jp/anime/dande/story/story11.html

奏様と修様の過去にまつわる家族愛が強く印象に残った。いや、それよりも、これを選出した理由は、「2話連続放送」を初めてリアルタイムで体験したという個人的な理由である。

かつて、フジテレビの深夜アニメ枠は混迷を極めていたらしい。2話連続放送や3話連続放送も珍しくなかったらしい。最悪の場合最終話まで放映できなかったアニメもあるという。
今回のケースは、そもそも放映局がTBSだしあまりフジの件とは関係がないが、それでも2003年前後の深夜アニメの混迷をリアルタイムで体感できなかった、「憧憬」を覚えていたわたしにとっては、今年の『ダンデライオン』2話一挙放送は、8年前の『瀬戸の花嫁』早朝放送(テレ東)以来の一大イベントだった。

それが声優!  #1(7月7日)

http://soregaseiyu.com/story/episode01.html

http://d.hatena.ne.jp/rolandbarthes1980/20141231/1420012776

今回、わたしは、第1回をひとつも選出しなかった。第1回をパブロフの犬みたいに選出するのは安易だと思ったからだ。この作品がいいね、と思って、早押しクイズみたいに第1回に即決する。これを戒めようと思った。だから来年以降も、たぶん第1回は選出しないと思う。

すみません、撤回します。ほんとう有言不実行だなお前は!!!はい、仰るとおりです。だがしかし、このアニメの第1話はほんとうに興味深く、没入してしまったんである。

それが声優!』第1話では、アフレコの現場の様子が詳細に描写されている。その説明を聞くだけでも非常に勉強になったし、主人公が初めてのアフレコに臨む緊張感には思わず感情移入してしまったし、先輩の声優に「あんなこともできないようじゃこの先が〜」と小言を言われるシーンなんか胸を締め付けられるようだった。

個人的な話で恐縮だが、職業訓練ピッキングをやったことがある。キーホルダーを分別し、正しい場所に入れ、足りなくなったら補充する。何人もの人間が入り乱れて、キーホルダーの分別に参加しているのだが、その情景が、限られたマイクで何人もの声優がせめぎあうアフレコ現場に通じるものがあるーーそう思ってしまった。

ダイヤのA -SECOND SEASON-  #13(6月29日)

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/diaace/episodes/index_3.html

日常系が流行っている。日常系で『琴浦さん』第1話Aパートみたいなことをやるのはご法度である。甘く、優しい世界。今期、わたしは、『ご注文はうさぎですか??』も、『ゆるゆり さん☆ハイ!』も、非常に楽しく観させてもらっている。まさしく日常系の、甘く、優しい世界。だとしたら「亀裂」と名付けられたこのエピソードの人間関係のギスギス感は、日常系の対極にあるものだ。

人間関係のいざこざ、人と人のあいだの軋轢。むしろ、アニメよりもTVドラマでよく観られるものかもしれない。人間関係の不穏さを感じるアニメは、(特に深夜帯において)あまり観られない。このエピソードにおける青道高校野球部の人間関係をめぐるギスギス感は、現行のTVアニメ全体を見渡すと、かなり異色のもののように思う。しかし、わたしたちは、人間関係のいざこざ、人と人のあいだの軋轢から、かなり眼を背けすぎていたのではないだろうか。

プラスティック・メモリーズ  #5(5月2日)

http://www.plastic-memories.jp/story/05.html

正直、このアニメを、このアニメのこの回を選出するのには、かなり勇気が必要だった。

このアニメの設定について、「前提からして間違っている」というふうな、かなり厳しい意見も見られた。「整合性」なんてどうでもいいと思っているわたしには、プラメモの不評は精神的にかなりこたえた。

それでも、このアニメの、この回は、映像として図抜けていると思う。福田道生という演出家は、印象的なコンテをよく切る。映像として図抜けているのみならず、さんざん槍玉に挙げられている「脚本」も、この回はテンションが高くて、素直に、好きだ。

アイカツ!  #115(1月8日)

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/aikatsu/episodes/index_6.html

「問いの追求として、出発点は到着点を含むという」。岩波文庫三木清パスカルにおける人間の研究』の表紙には、こう書かれている。出発点は到着点を含む。まさしく、アイカツの、このお正月話は、出発点であると同時に、到着点である。

むすびに代えて 全日帯アニメと深夜アニメの立ち位置の逆転

「全日帯アニメが深夜アニメで、深夜アニメが全日帯アニメである。」何を言ってるんだこの人は、と思うかもしれない。しかし、わたしの、現在のTVアニメに対する認識として、「全日帯アニメが深夜アニメで、深夜アニメが全日帯アニメである」こんなフレーズが、立ち現われてくるのである。

すなわち、正確な統計こそないが、典型的なアニメファン群を想定すると、深夜アニメは、観る人が多くて、かつての全日帯アニメのような立ち位置である。人気がある。対して、全日帯アニメ(朝、夕方、ゴールデンタイムのアニメ)は、アニメファンにあまり注目されない。ノーマークになりがちで、プリキュアと「日5枠」しか観ないというパターンがありがち、かつての深夜アニメに近いのではないだろうか。

「かつての深夜アニメ」という時、何を念頭に置いているのか。ずばり最初の『To Heart』の頃の深夜アニメである。現在のスタイルの深夜アニメはまだ始動したばかりで、夕方アニメの添え物のような立ち位置だった。小学校低学年の頃から「アニメージュ」「アニメディア」を読んでいたわたしから言わせてもらえば、そうだ。

過激なことを言ってしまえば、プリキュアの裏枠の『デュエル・マスターズVSR』の立ち位置が、最初の『To Heart』の頃の深夜アニメのような立ち位置になっているーーこう仮定してみる。全日帯アニメと深夜アニメの位置が逆転しているのである。朝が夜、夜が朝。むしろニチアサキッズタイムの裏枠や、かつての火曜朝の『マイリトルポニー』枠のようなところに、「超大穴」は隠れているような気がするのだが……。これも戯言である。

キャラ単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選

※全員女性キャラです。

話数単位で選ぶ10選があるのなら、キャラ単位で選ぶ10選があってもいいのではないかと、ひらめいた。
前々から思っていたことだが、「好きな作品を10個挙げるのは難しいが、好きなアニメキャラなら50人だって100人だってなんぼでも挙げられる」という特性がわたしにはあるらしい。このアカウントのプロフィール欄に飛べば一目瞭然だろう。好きなアニメは『カレイドスター』と『true tears』しか挙げていないが、好きなアニメキャラは気持ち悪いほど羅列されている。そういった偏りが、どうもわたしにはあるらしい。

もっとも、今回のキャラ10選にも偏りはある。冒頭でお断りした通り、全員性別が女性だ。その上、クールごとの偏りがある。10人中7人が夏アニメのキャラクターであり、今期のキャラがひとりもいない。既に2015年よりも前に登場しているキャラクターを除外したという縛りがあるにしても、真剣にアニメに取り組んだ時期が今年は夏季だったこと、反対に冬になると調子を落とすこと……アニメファンとしてのわたしの”キャラクター”が如実に現れている。

それから、「話数単位〜」で選ぶであろう(あろう、というのは、まだどうなるか解らないアニメがあるからだ)作品と、あまり被っていない。これは「作品」と「キャラ」が別の位相にある、ということを示しているのだろうか。

それでは、50音順に、わたしの今年のお気に入りキャラ10人を紹介していきたい。キャラの詳細は、リンクを貼った各公式サイトのページで確認していただきたい。

絹島ミチル(『プラスティック・メモリーズ』)

http://www.plastic-memories.jp/character/

隠れメインヒロイン。本作はアイラの可愛さばかりが褒め称えられるが、わたしが注目したのはミチルのポジション。ツカサ=アイラのラインに割って入り、三角形を作り出す。ツカサとアイラのつながりだけでは弱いが、ミチルの視点が入ってくることでダウナーな物語が重層化していく。声優が赤崎千夏なのもポイント高い。

久世橋朱里(『ハロー!! きんいろモザイク』)

http://www.kinmosa.com/character.html

サドっ気溢れる家庭科教師。髪を片方で縛っているのもポイント高い。2期は、久世橋先生のために観ているようなものだった。萌えポイントも数知れずあった。何より10代のキャラが多いTVアニメで成人女性枠は貴重だ。

紅本明里(『実は私は』)

http://jitsuwata.tv/character/

本性サディストの女教師。ある意味本作品の屋台骨ともいえる存在。『うる星やつら』のサクラしかり、『スクールランブル』の刑部絃子しかり、明らかにサドな女教師キャラの存在は、作品の魅力をグッと増してくる。偶然かもしれないが、久世橋先生と名前が同じだ。

櫻田茜(『城下町のダンデライオン』)

http://www.tbs.co.jp/anime/dande/chara/

花澤香菜は、キャストクレジットで3番目のキャラを演じる印象が強かったが、これはトップクレジットだ。女性声優の場合、単独主演が少ないというケースがよくある。このアニメは、貴重な花澤単独主演枠。群像劇であるから、櫻田家の誰でも選ぶ根拠はあったが、何よりも貴重な花澤単独主演枠だから。

渋谷凛(『アイドルマスターシンデレラガールズ』)

http://imas-cinderella.com/character/#rin

おそらく深くデレマスを観ている方なら、しぶりん以外のキャラを推すのかもしれない。しかしながら、わたしは、以前にこのブログでも書いたように、まず渋谷凛に引きつけられた。杏を推したっていい。未央を推したっていい。誰を推したっていい。アイマスに深入りしていないわたしには、しぶりんの存在が単純に眩しかった。
ところで、デレマス勢では諸星きらりの体型ばかりがクローズアップされるが、身長と体重を考えると、渋谷凛は立派な「モデル体型」である。

白崎イリス(『Classroom☆Crysis』)

http://www.classroom-crisis.com/character/

第1話のバイクで登校するシーンから異様な存在感を醸し出していたイリス。衝撃の過去も、異様な存在感を察していたわたしには妥当と思えた。オリジナルアニメには、やはり、イリスのような視聴者をぐいぐい引っ張っていく存在感のキャラが必要だ。

白雪(『赤髪の白雪姫』)

http://clarines-kingdom.com/character/

今年の早見沙織枠。ついに本人名義でこの作品で歌手デビューしたこともエポックメイキングな年だった。

鷹取小夜(『うしおととら』)

http://ushitora.tv/character/detail/14/

第10話のゲストキャラ。中村麻子と迷ったがあえてゲストヒロインを選んだ。藤田和日郎が描くヒロイン像がこの頃からさして変わっていないのがなんとも興味深かった。

土間うまる(『干物妹! うまるちゃん』)

http://umaru-ani.me/character/index.html

うまる役の声優は逸材だと思う。今年一番個人的に株が上がった声優は松井恵理子だが、新人では田中あいみだ。歌い分けも演じ分けも、才能の片鱗をいかんなく示してくれた。
キャラは言うまでもない。オタクならば誰もが自分を重ねてしまう部分を持っている。あのフードが欲しくなってしまうものだ。

ロレッタ・クリスチアーノ・アモーディオ(『GANGSTA.』)

http://gangsta-project.com/character.php

もしかしたらマングローブの倒産により公式サイトがなくなっているかもと危惧していたが、大丈夫、ちゃんとあった。年は中学生ぐらいだが、ギャングを率いる強気な少女。今年の個人的「ロリコン枠」か? 植田佳奈、まだまだいける、まだまだもがける。

コミケ88 『PRANK! vol.1』に寄稿しました


詳細は http://siguremurasame.jimdo.com/books/prank-vol-1/ を

末広がりの8がふたつ重なるとは縁起がいいですね!!
さて、わたしが書いたのは、ノイタミナとTBS(2007.4〜)」という文章です。
正確に意味を伝えるなら、「ノイタミナとTBS木曜深夜枠」のほうが実は良かったのですが、なんだか語呂が悪いし硬い感じがしたので、「ノイタミナとTBS(2007.4〜)」という題にしました。
要するに、わたしが上京して深夜アニメが観られるようになった2007年4月から、「木曜深夜」という関東地区におけるアニメ激戦区の流れを、本誌のテーマであるノイタミナ、と、TBSが製作した木曜深夜のアニメ枠、この両枠に絞って叙述したもの……なんですが……、

自分語りです!
要は、自分語りです!
自分語りが好きなんです。

編集スタッフの方のおかげで、素晴らしく読みやすいレイアウトになっていて、感謝してもしきれません。
準備期間(執筆も含めて)たったの2日という急ごしらえなので、本文は読み苦しい点も多々あると思いますが、秘密情報込み(嘘大げさ紛らわしい)で皆様にお届けしますので、ノスタルジーに浸りたい方も当時のことを知りたい方も、楽しみにしておいてください。



反省点はTBSのほうに力点置きすぎたことだな……(´・ω・`)

UHFアニメ史へのおぼえがき

UHFアニメ」という時、テレビ神奈川テレビ埼玉チバテレビサンテレビKBS京都等の独立局で営まれるTVアニメーションという意味合いが伝統的に強いように思う。そこには、TOKYOMXは含まれない。ここでもやはり、MXが本格的に参戦する以前の独立局アニメを扱いたい。

テレビ神奈川のアニメを全部録画している同級生がいた−−」by大学の同級生

端緒

『レジェンドオブバサラ』(1998年)という少女漫画原作アニメに、UHFアニメの端緒は求められるようである。『わんころべえ』はMXが独自製作したアニメだったが、ここで取り扱う「UHFアニメ」とは程遠い。
『レジェンドオブバサラ』は、
1独立局のみでの放映
2遅い時間帯

というふたつの要素を兼ね備えている。とくに1の「独立局のみでの放映」という意義は大きい。キー局を頼りにしなかったのである。

美少女ゲームのアニメ化

初期のUHFアニメには、美少女ゲーム原作アニメが多い。leafの『ToHeart』『こみっくパーティー』に加えて、ごく初期に『下級生』『同級生2』。しかしleafの『ToHeart』『こみっくパーティー』の存在が際立つことは否定出来ない。
ToHeart』と『こみっくパーティー』を隔てる点として、セル制作からデジタル制作へ、という点が強調される。前者からは90年代末期の濃厚なセルアニメーションの雰囲気、後者からは00年代初期の(今から観ると)どぎつい彩色その他……が実感できると思う。
ともかくleafというメーカーの存在は大きかったのである。数年下ると、サーカスやオーガストといったメーカーが浮上してくる。

WOWOWノンスクランブル枠からの移行

正確な統計はとらなかったものの、2001年頃からWOWOWノンスクランブル枠がじょじょに解体してくる。少なくとも20世紀末の全盛期は過ぎたように思われる。『鋼鉄天使くるみ2式』というアニメはWOWOWからの流入であった。
WOWOWノンスクランブル枠を現在のBSイレブン深夜枠と捉えてもいいのかもしれない。

キッズステーションとの結びつき

2000年代、UHFアニメキッズステーションとの結びつきが非常に強かった。わたしの家庭では2002年度からケーブルテレビでキッズステーションが観られるようになったのだが、『ハッピーレッスン』『アベノ橋魔法☆商店街』『プリンセスチュチュ』『奇鋼仙女ロウラン』『成恵の世界』『ダ・カーポ』『げんしけん』こういった作品群のCMが頻繁に目についた。また例外となるが『よばれてとびでてアクビちゃん』はキッズステーションの子供向けアニメという印象が強いが、広い意味でUHFアニメに入るようだ。

らいむいろ戦奇譚』事件

2003年1月、独立局のサンテレビは、『らいむいろ戦奇譚』と『ストラトス・フォー』を夕方枠に編成した。このことが特に『らいむいろ戦奇譚』について波紋を呼ぶこととなる。
らいむいろ戦奇譚』における性的描写が主な問題となり、同作が夕方枠に相応しくないということでクレームが付き、BPOで取り上げられる事態となった。周知のかたも多いかと思うので、これ以上詳細な説明は省くが、規制が緩いUHFアニメの特質が裏目に出てしまった事例であったと思う。

UHFアニメに対する自覚

2003年は世界陸上があった年である。末續慎吾が200メートルで3位に入った世界陸上である。末續のレースは深夜3時ごろにならないと始まらない。末續待ちで別のチャンネルを観る。そしてたまたまつけたキッズステーションに『ダ・カーポ』の放送が映っていたのである。
どうも『ダ・カーポ』と『君が望む永遠』によって、わたしのUHFアニメに対する自覚は芽生えたようである。
といっても、UHFアニメに対する印象は決して芳しいものではなかった。安っぽい・あざとい・エロ・萌え……云々。「深夜アニメより、夕方枠のアニメのほうがいいや」そういう実感を持っていた。
「チープさ」は長年UHFアニメのキーワードとなる。けれども、ここ数年の東京MXの番組にはそういった概念は通用しなくなってしまった。
ともかくUHFアニメを一段低いものととらえていたのである。

君が望む永遠』をビデオに録画した

2003年の秋から冬にかけ、『君が望む永遠』が2ちゃんねるのアニメ板で話題を集めていた。好奇心にかられ、親に隠れてキッズステーションの放映をVHSビデオに録画した。速瀬水月が主人公の友人とまぐわる回で、刺激的というよりも、TVアニメにはこういう世界もあるのかと思ったはずだ。騎乗位が描写されていたのだから。
夕方のアニメと、キッズステーションの深夜にやっているようなアニメは、本質からして違うのではないか? そう思った。

特定の原作者・会社との結びつき

UHFアニメには介錯の漫画作品が多く供給された。すなわち『円盤皇女ワるきゅーレ』『神無月の巫女』など。またufotableは初期にUHFアニメを根城にしていた。すなわち『住めば都のコスモス荘』『ニニンがシノブ伝』『フタコイオルタナティブ』など……。
またトライネットエンタテインメントというプロデュース会社があり、2005年にUHFアニメの作品数が激増した。すなわち『こいこい7』『IZUMO』『萌えよ剣』『はっぴぃセブン』『ラムネ』、翌年には『吉永さん家のガーゴイル』『つよきす』。玉石混淆の作品をUHFアニメに供給し賑わせた。

放映枠的な特質

ロウラン/プリンセスチュチュ瓶詰妖精/BPS、「プリンセスアワー」、はにはに/windと、15分枠アニメを2つ組み合わせたコンプレックス枠も多く見られた。
また「アニメ魂(アニメスピリッツ)」という名称のついた枠もUHFアニメには存在し、2008年の『ストライクウィッチーズ』辺りまで残存することになる。

表現規制の緩さ

テレビ東京表現規制がきつく、深夜帯でもパンチラを描写できなかった。『一騎当千』に代表されるようなパンチラ、あまつさえ性的描写も含んだ作品の受け皿としてUHFアニメ枠は機能していた。
例えばテレビ東京系のアニメを観ている時、『一騎当千』のCMが流れて「合法パンチラ! 合法パンチラ!」と実況スレで絶叫していた。

オリジナルアニメ

エロゲーラノベ・萌え漫画といった原作に頼らないオリジナル企画もじょじょに増えていき、『魔法少女リリカルなのは』はエロゲーのスピンオフ作品であったものの続編作によって完全に自立した。そのほか2004年には『光と水のダフネ』『うたかた』といったオリジナル企画が出現した。

2004年〜2005年付近の動向

ToHeart リメンバーマイメモリーズ』『ToHeart2』『下級生2』『こみっくパーティーRevolution』『ダ・カーポ セカンドシーズン』と、2000年前後に供給されていた美少女ゲーム原作の次の世代が供給されるようになった。『Canvas2〜虹色のスケッチ〜』はエロゲー原作であるものの異彩を放っていた。というのも角川枠だったからである。『Canvas2』が角川枠のUHFアニメだったことはもっと強調されてもいいと思う。ちなみに『Canvas2』の後番組が『涼宮ハルヒの憂鬱』である。
この最中、『げんしけん』『バジリスク『エマ』といった青年漫画原作アニメが異彩を放っていた。また『美鳥の日々』がUHFアニメという媒体を選択した。少年サンデーがUHFアニメに立ち入ったのである。
そのほか、『好きなものは好きなんだからしょうがない!!』はボーイズラブを主眼としたアニメであり、成人男性層だけでなく女性層にも訴えかけるコンテンツも出始めた。

2005年10月の変化

灼眼のシャナ』の原作は、電撃文庫の看板ラノベで、そういった意味でUHFアニメの枠にアニメ版『シャナ』がおさまったのはエポックメイキングであった。MBSとの結びつきという意味では、『地獄少女』も同様。『地獄少女』はメディアミックスこそあったものの実質オリジナル企画で、関西地区(MBSアニメシャワー)で好視聴率を記録した、らしい。ともかく2005年10月の改編からは、UHFアニメの裾野が広がったのを感じるのである。『ノエイン もうひとりの君へ』という本格的なSFアニメが始まったこともその証左となりはしないか。『ノエイン』はもしかしたらUHFアニメで初めての本格的なSFアニメではないだろうか。

玉石混淆

その一方で2006年に入り『落語天女おゆい』『吉宗』といったいわゆる「珍作」も散見されるようになり、放映数の増加に伴いまさに玉石混淆の様相を呈す。そんな中で『Canvas2 虹色のスケッチ』の後番組として『涼宮ハルヒの憂鬱』は始まったのである。

キャラの名前/顔と名前の一致/馴染むキャラ/馴染まないキャラ/馴染まないアニメ/馴染むアニメ

アニメファンは、通例、複数のTVアニメを並行して視聴する。1クールにつき3番組くらいという人もいれば、60番組ぐらい(つまりほとんど全番組だが)の多くの量を摂取する、いわゆる「多量見」という方もおられる。

「多量見」派に対して、同時に何十番組も並行して観ていて、そんなやり方で、例えば「各番組のキャラの名前を果たして覚えていられるのか?」というような疑問を抱くことがある。

どうも、何十番組も並行して観るというやり方に対しては、ひとつひとつの番組への取り組む態度が浅くなる、という懸念が払拭できない。
いや、それでいいんですよ。何十番組も並行して観ていて、それでアニメライフが楽しいのなら。これは「多量見」派を批難するためのつぶやきではない。

かくいうわたしだって、「多量見」派の方には敵わないけど、2桁のアニメ番組を並行して観ていますし。
そういえば最近、正確になん番組同時に観ているかなんて計算したことないなあ。

話がそれかけた。
わたしは2007年4月に上京して、2桁のアニメ番組を並行して観るようになった。ただ、特に上京したての頃、たいていの番組は、途中で脱落してしまっていた。都会のアニメの洪水に適応できなかったのであるが、あれ? こんな話、いつかどこかでしたことあるな。

最近では、「アニメ視聴の呼吸」もだいぶわかるようになり、10番組くらいなら捌けますよ……と、胸を張って言えるほどではないが、それでも10番組くらいなら同時にTVアニメを捌くことができるようになった、ようである。

TVアニメの捌き方には、だいぶ自信が出てきた。それはいい。
でも、TVアニメを「捌く」ということと、TVアニメを「観る」ということは、どうもイコールではないように思いますがね……。

あなたは、どれだけのTVアニメを、冷静に観られますか?
そして、同時期のTVアニメに登場するアニメキャラの名前を、どれだけ覚えられますか?

アニメキャラの名前、ちゃんと覚えられますか

苗木野そら、レイラ、ユーリ、ケン、ミア、アンナ、カロス、サラ、マリオン、ジョナサン、ロゼッタ、メイ、レオン。
これらは『カレイドスター』というTVアニメのレギュラーキャラの名前である。これくらいなら、わたしは、直ちにキャラの名前を列挙することができる、何も見ずに。ただしこれは極端な例である。なぜなら『カレイドスター』はわたしにとって一番特別なアニメ作品であり、12年間にわたって観続けている、馴染み続けているアニメだからだ。
カレイドスター』くらい自分にとって特別なアニメならば、何も見ずに、主要キャラの名前を列挙することができるのだが、例えば、自分にとってまだ馴染みの薄いアニメの場合、主要キャラの名前を何も見ずに列挙することは難しいだろう。

例を挙げると、今期『艦隊これくしょん −艦これ−』という深夜アニメがやっていますよね。これは超人気ブラウザゲームが原案で、軍艦を擬人化した「艦娘(かんむす)」という美少女キャラが大量に登場する。わたしも少しだけなら『艦これ』をプレイしたことはある。
ところが、いざアニメの『艦これ』を観る段になって、艦娘の名前が少しも覚えられないのだ。正確に言うと、「顔と名前が一致しない」。同じことだ、結局「顔と名前が一致しない」とは、「キャラの名前を覚えていない」とほとんどイコールだ−−。「どれが赤城?」「どれが榛名?」「どれが如月?」いや、それ以前に、どの艦娘がどこで登場したのか、まだ登場していない艦娘はどんな艦娘なのか、把握できていない状態である。最早、まじめに観ていない。
結局、このことはわたしの『艦これ』アニメ版への取り組みが浅すぎるということである。

とにかく、アニメ作品への馴染みが薄いと、キャラの把握すら覚束なくなる。

ポケットモンスター

もうひとつ、いささか極端な例を挙げよう。
ポケットモンスター』という、国民的TVアニメがありますよね? 現在のタイトルは、『ポケットモンスター XY(エックスワイ)』。言うまでもなく、国民的ロールプレイングゲームを原作とした長寿TVアニメシリーズである。
昨日、サブタイトルが気になって、久方ぶりに『ポケットモンスター XY』を生で観てみた。
主人公の「サトシ」。彼の名前はもちろん”覚えている”。1997年にこのアニメは始まったが、主人公(一応、ね)は「サトシ」で不変である。もちろん顔と名前が一致するし、松本梨香の声も馴染み深い。
あと、「ロケット団」っていますよね? タイムボカンシリーズ三悪みたいな(って言うとむしろわかりにくくなりますか?)立ち位置の、ムサシ・コジロウ・ニャースニャースのことはあとで触れるとして、「ムサシ」と「コジロウ」も1997年以来ずっと出続けていて、もちろん昨夜の放送で顔と名前が一致したし、声優も1997年以来林原めぐみ三木眞一郎で不変である。
あとポケモンについて。
ピカチュウ」。言うまでもなく国民的ポケモンである。顔と名前が一致するし、大谷育江の鳴き声も馴染み深い。ロケット団の「ニャース」。1997年から出続けているキャラで、顔と名前が一致するし、犬山イヌコのしゃべり声も馴染み深い。

「サトシ」「ムサシ」「コジロウ」「ピカチュウ」「ニャース」については、難なく昨夜の放送で把握できた。もう自動的にキャラを把握できた。ただし「ピカチュウ」と「ニャース」は原作の「赤・緑」に登場するポケモンであるから、そういう面でも馴染んでいる。それはともかく、「サトシ」「ムサシ」「コジロウ」の顔と名前は、一生涯一致すると思う。

ところが。
ポケットモンスター』というTVアニメシリーズは、サトシに随伴するレギュラー人物が、副題が変わるごとに、変わるのである。ちょっと前まで「アイリス」っていましたよね? 肌が黒い悠木碧が声あててた少女。彼女はひとつ前のシリーズのレギュラーキャラだ。「アイリス」は表舞台から消えてしまって、あらたにサトシに随伴するレギュラーヒロインが出てきた。それが「セレナ」だ。この「セレナ」という女の子が、実は現在の実質的な主人公なのだが、それはいいとして、サトシに同行するレギュラー人物で、もうふたり、「シトロン」「ユリーカ」のきょうだいがいる。

わたしはまだ「セレナ」「シトロン」「ユリーカ」に対する馴染みが薄く、昨夜の放送でキャラの名前を正直、瞬時に把握できなかった。とくに「シトロン」は、CVが梶裕貴のキャラであることは把握していたものの、検索して名前を確認するまで顔から名前を想起することができませんでした。
ポケモンに関しても、「デデンネ」など大量にニューカマーがいるようだし。

わたしが昨夜の『ポケットモンスター XY』で人間キャラの名前を瞬時に想起できたのは、前に挙げた「サトシ」「ムサシ」「コジロウ」そして声優こそ赤崎千夏になったものの「ジョーイさん」だけだったのである。
わたしぐらいの世代だとサトシに同行するのは「タケシ」と「カスミ」というイメージが強い。顔と名前が瞬時に一致するキャラだ。
けれど、「セレナ」「シトロン」「ユリーカ」の名前が、瞬時に出てこなかった。
強調すべき事実として、『ポケットモンスター XY』は、最早数あるTVアニメの中のひとつにすぎなくなっている、ということ。
山陰地方でBSSテレビの放送にかじりついていた少年時代ならいざ知らず、少なくともわたしにとっては、『ポケットモンスター』シリーズが、数あるTVアニメの中のひとつにすぎなくなっていってしまっている。
たくさんのTVアニメを捌く中での、”捌く対象”のひとつにすぎなくなっていってしまっている。

アイドルマスター シンデレラガールズ

反対に、現クールの番組でも、かなり馴染んできている、アニメ作品として、わたしにかなり食い入ってきている、という番組がある。
一例を挙げると、『アイドルマスター シンデレラガールズ』。これは某ソーシャルゲームが原作で、『アイドルマスター』のモバイル版。アニメ版でも、大量のアイドル候補生が登場していて、346プロの一室に十何人ものアイドルが集結している画面は、壮観ですらある。
アイドルの中に、渋谷凛って女の子がいますよね?
実は、わたしは、初めて触れる作品ながら、「渋谷凛」というキャラの名前を一発で覚えてしまった。惚れ込んでしまったんです、「渋谷凛」に。
第1回の、渋谷駅前や花屋の店先に居る彼女の姿が、とてもまぶしかった。「渋谷凛」は、すみやかにわたしの手の内に入った。「渋谷凛」が勝手にわたしに食い込んできた、というほうが正しいか。いずれにせよ、「渋谷凛」はわたしのお気に入りキャラクターになったし、容姿と名前が瞬時に一致するようになった。
ほかにも「島村卯月」、「本田未央」など、主要キャラを、比較的はやく把握することができた。これは高雄監督以下制作スタッフの描き方が丁寧であるのも一因であろうが、それにしても、『デレマス』と『艦これ』のわたしの馴染み方の鮮やかな対比は、一体何なのだろうか?

アイドルマスター シンデレラガールズ』は、だいぶ馴染んだが、『艦隊これくしょん −−艦これ−−』は、全然馴染まなかった。たぶん『デレマス』に関しては、多くのアイドルの名前を、この先覚えこむことが出来るだろう。なぜ『デレマス』に対してそういう深い態度で取り組むことができそうなのか? 先ほど触れたように高雄監督以下スタッフの努力もあるのだろうが、『カレイドスター』のとある台詞を借りるならば、まるで『デレマス』のステージが、わたしに恋をしているようなのである。言い換えるならば、わたしと『デレマス』は引き寄せられている。


(未完)

あなたは、アニメでどんなことが起こったら楽しいですか?

古い話である。

わたしの先輩に、「まんがタイムきらら」系の4コマ漫画が好きな先輩がいた。まだ『けいおん!』もアニメ化されていない頃の話だ。「まんがタイムきらら」系の4コマ漫画は、まだまだマニアックな存在だったと思う。そんなマニアックだった系統の美少女4コマ漫画を、先輩はことあるごとに賞賛していた。

7年以上前のことだろうか? 某書店に先輩と行き、漫画コーナーの芳文社の棚で、「まんがタイムきらら」系の4コマ漫画をすすめてもらったことがある。そこで先輩は、わたしにこう言ったのだ。

「あなたは、漫画でどんなことが起こったら楽しいですか」

わたしは、その問いにうまく答えられなかった。先輩にすすめられるがままに、先輩イチオシの作家の単行本を買って帰ったと思う。ただ、その時先輩が発した言葉、「あなたは、漫画でどんなことが起こったら楽しいですか」という問いは、今でも決して忘れていない。



さて。
あなたは、アニメでどんなことが起こったら楽しいですか?

話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選

はじめに

誰にも、その人固有の、それぞれの暮らしがある。人それぞれの暮らしのなかで、誰もが、その暮らしを圧迫しない範囲で、アニメを楽しめばいいのだと思う。その人にとっての、アニメ視聴の適正量が、あるいは60番組であるかもしれないし、あるいは3番組であるのかもしれない。60番組観なきゃ気が済まない人。3番組で良しとする人。どちらのタイプの人がいてもOKなのだと思う。自分が無理をしない範囲で、アニメを楽しむ。過不足のないアニメライフ。アニメが好きな人は、過不足のないアニメライフを目指すべきだと思う。

今年、ちょっとアニメで無理をしてしまった人、あまりアニメを頑張れなかった人、様々にいることかと思う。そういったアニメ好きたちの、アニメライフの決算が、話数単位◯◯選として結実する。べつに、無理をして10本を選ばなくてもいいんだと思う。5本でもいい。3本でもいい。1本でもいい。それぞれのアニメ好きに、それぞれの暮らしがある。そういう、アニメという枠を超えた「暮らし」ぶりまで、TVアニメという、現代の生活に食い込んでいるフィルターを通して、透けてくる。何話か選ぶことで、選んだその人自身の、「わたしの暮らしの時間」であったり、「わたしがわたしであること」であったり、「わたしがわたしになりきれなかったこと」であったり、「わたしがわたしになりきれたこと」であったり、あるいは素朴な「わたしの思い」が、聞こえてくる。

耳をすませば、多声的な、パブリックな部分だけではなく、プライベートな部分を染み込ませた、それぞれのアニメ好きの、夜明けの歌が聞こえてくる。そう。日本固有の、大つごもりのベートーヴェン交響曲第9番』の合唱みたいに。2015年の夜明けの歌が、アニメブログというスピーカーを通して、ネットの街路に鳴り響く。


そういった企画を、前提から疑い、「馴れ合い」とみなし、退出していく聡明な青年。『白蛇伝』から現在に至るあらゆるアニメに10代にして通暁し、どこのTSUTAYAにも置いていないようなマイナーOVAにも通暁し、もはや「あらゆるアニメの中から、比べて、選ぶ」という行為にうんざりしている、達観した少年。そういった存在が、仮にいるかもしれない。彼らは、こういった企画という円の外にいる。わたしは彼らの人格を否定しない。むしろ、「馴れ合い」と喝破し出て行く青年や、「比べる」「選ぶ」という段階を通り過ぎた早熟な少年は、主体的であり、自立的であり、実存的である。彼らはアニメファンの頽落を見逃さない。低い位置での暮らしに安住しない。むしろ、こういった企画という球体の汚れを取り払い、こういった企画という合唱曲に紛れ込むノイズを取り払ってくれる。

わたしの10選

プリティーリズム・レインボーライブ 第45回「薔薇の革命」

アイカツ! 第95回「夢の咲く場所」

ご注文はうさぎですか? 第10回「対お姉ちゃん用決戦部隊、通称チマメ隊

いなり、こんこん、恋いろは。 第3回「兄じゃ、五月蠅い、過剰愛。」

グラスリップ 第4回「坂道」

東京レイヴンズ 第16回「_DARKNESS_EMERGE_ -神扇-」

マンガ家さんとアシスタントさんと 第9回「過去の過ち」

デンキ街の本屋さん 第6回「宿はなし」

異能バトルは日常系のなかで 第11回「存在 キューピッドエラー」

ヒーローバンク 第26回「決着¥最初で最後の大ゲンカ!!」

アイカツ! #95

ここに2本の車軸がある。TVアニメという車を動かすための車軸が。その2本の車軸とは、『プリティーリズム』であり、『アイカツ!』である。事実上そうなっていると、わたしはもはや決め込んでしまっている。それくらいこの2本のアニメの存在は、大きい。ほんらいタカラトミーバンダイナムコという競いあう間柄のメーカーに支えられたアニメ番組なのだが、むしろこの2本のアニメ同士は、折り合っている。折り合って、危ういバランスのまま突っ走るいまのアニメを支えている。

とりわけ2014年3月まで放映されていた『プリティーリズム・レインボーライブ』の「脚本力」は、せせこましい深夜アニメを一掃してしまうくらいの力があった。4クール。51話。実写パートのおかげで引き締まった放映時間。濃く、うねりのある流れの脚本・構成だったと思う。

2014年に放映されたなかで1本選ぶとしたら、第45回の「薔薇の革命」だとわたしは思う。
エーデルローズの独裁者・法月仁。プリズムショー協会の頂に登る者・氷室聖。そしてプリズムストーンを脇で支える「DJ COO」という、しがない存在であり、異様な存在。仁・聖・COO、この「大人」3者に加え、速水ヒロという虚飾にまみれた少年アイドルが、この回の、物語のうねりを、創りだす。
法月仁の罠により、氷室聖はプリズムショー協会から引きずり降ろされる。それどころの事態ではない。プリズムショー全体が機能不全に陥っているのだ。エーデルローズどころか、プリズムショーの世界まで腐敗しかかっている。その状況を打破しようと、虚飾にまみれていた速水ヒロが動き出す。
ステージ上で、ヒロは自らの虚飾を剥ぎ取る。ヒロの誠実さに、仁の悪意は動揺をきたす。聖とヒロへの仁の悪意はいよいよ狂気と化し、彩瀬なるや蓮城寺べるも含めたプリズムショーに関わる人間をホロコーストに向かわせようとするが、楽屋裏で仁に対してDJ COOが意外な役割を果たす。

DJ COOに関するどんでん返しは、見事だった。わたしは森久保祥太郎含めDJ COOという名脇役がいなかったらこのアニメは成り立たなかったと思っている。しかしもう一方で、法月仁という存在がいなかったらこのアニメは立ち行かなくなっていただろうな、という思いを捨てきれない。それほどまでに法月仁は名悪役だったとわたしは思うのだ。とくに三木眞一郎の演技の迫力がすごかった。おそらく悪役を演らせたほうが輝きが際立つ演者なのだろう。「たかが女児向けアニメ」という軽蔑・やる気の無さを一切感じさせないミキシンの演技は鬼迫に満ちていたし、それも含めわたしは法月仁という悪役が捨てがたいのだ。第46回以降、仁は最終回にしか顔を出さない。しかし仁の物語は続いていく。最終回はそんなふうなことも示唆していたと思う。法月仁は背後に物語を強烈に感じさせる名悪役だった。

もちろんこのアニメの主役は女の子である。彩瀬なる、福原あん、涼野いと、蓮城寺べる、森園わかな、小鳥遊おとは、この6人に加え、りんねとジュネを含めたヒロインズ。しかし、わたしはわたし自身が男であることを否定できないのであって、ヒロ、コウジ、カズキ、仁、聖、COO、それにいとやわかなのお父さんも含めた男性キャラにどうしても寄り添ってしまうのだ。

男キャラにもそれぞれ見せ場はあるが、仁・聖・COOの三角形にヒロが絡みつく第45回が、男キャラが単なる添え物でないという作品の意志を強く感じさせて、好ましく思った。4クール目、ひいてはシリーズ全体のターニングポイントとなる回だったと思う。『カレイドスター』にしても何にしても、男が引き立て役だと思っていたら大間違いだ。


アイカツ!』について。
わたしは『アイカツ!』を観ない時期があった。なぜかというと、木曜18時からテレ玉で『カレイドスター』の再放送が放映されており、その真裏に『アイカツ!』が枠移動してしまったからだ。何事においても『カレイドスター』を優先させてしまうわたしは、『カレイドスター』の再放送の期間、放送を録画することだけに集中していた。「『カレイドスター』を観るために東京に残ります」と親に言った。当然呆れられた。ともかく『カレイドスター』が木曜18時の枠で再放送されていた期間は、『アイカツ!』を観なかった。
そしてアニメ史上最高の達成『カレイドスター』の再放送が終わり、ふたたびわたしは夕方枠に移ってきた『アイカツ!』を観るようになった。そしたら「ドリアカ」というもうひとつのアイドル養成学園が出来ており、音城セイラという星宮いちごと対になる立場のキャラだったり、きい、そら、マリアといった新キャラが続々出て来た。そう、「KIRA☆Power」が主題歌の時期である。大空あかりという未来の主人公も登場し、帰国したいちごの立場はかなり変わっていた。まぁテコ入れというやつだろうが、とくにドリアカ勢に視点を合わせると、帰国したいちごの立場はガラリと変わって見えた。

「ドリアカ」が進撃するという展開は、たしかに異物混入みたいな事態だったかもしれない。思えば『カレイドスター』にメイとレオンが出て来た時、ずいぶん論争になったものだ。「ドリアカ」がメイやレオンのような憎まれ役でなかったのが救いだが。
わたしはこの「ドリアカ」という存在、セイラ、きい、そら(苗木野じゃないほうの)、といった面々が、どうも捨てきれないのだ。それはたぶん、この「ドリアカ」が出張っていた時期に、『アイカツ!』に本格的に馴染んでいったからだろう。わたしにとっては、「KIRA☆Power」が主題歌の時期から、この番組に深入りするようになっていった。そしていつの間にか、毎週録画予約をするようになっていた。

とりわけわたしはこの「ドリアカ」の持ち歌である「ハッピィクレッシェンド」という曲が好きでねぇ……『アイカツ!』の挿入歌は、驚異的にクオリティが高いが、わたしがお気に入りの曲はこの「ハッピィクレッシェンド」だ。とくに、間奏の部分の「音」が好きだ。それはアニメ映像込みでの印象ではあるけれども。

そんな、「ハッピィクレッシェンド」が、現時点で最後に歌われた第95回を、わたしは『アイカツ!』のなかからは選びました。脚本では選ばなかった。『プリティーリズム・レインボーライブ』と比して、『アイカツ!』はわざと脚本・構成の濃厚さやうねりを抑えこんでいる感じがする。そこも『アイカツ!』の個性なのだが、『プリティーリズム・レインボーライブ』と比べ、『アイカツ!』のわたしの印象は、楽曲に比重が置かれている。

ドリアカサイドの集大成であり、神曲「ハッピィクレッシェンド」をみんなで歌って踊った第95回が、わたしの今年ベストの『アイカツ!』だった。

ご注文はうさぎですか? #10

ごちうさ』は、毎週リアルタイムで楽しみだったアニメだった。まず主題歌が屈指の名曲だった。木曜夜の30分間、幸せな気分でいられるアニメだった。何も主張しないことで、陶然とした気分にさせてくれた。そんな2014年4月期最良の作品『ごちうさ』でいちばん見返したのは、この第10回だ。

勉強合宿で、千夜の家にココアが泊まりに行ってしまう。反対にラビットハウスには、マヤとメグが泊まりに来る。おおむね、チノ・マヤ・メグ・リゼに青山ブルーマウンテンも絡んだ面々と、勉強合宿するココア・千夜・シャロという2つの集団の描写が分けて語られる。

この回でわたしが注目し、やみつきになったのは、Bパート明けから始まる温水プールの場面だ。街で評判となっている温水プールに、チノ・マヤ・メグ・リゼが向かう。温水プールで遊ぶチマメ隊たち。そこになぜかリゼを凌駕するスタイルの青山ブルーマウンテンがいた。ブルーマウンテンも含め水鉄砲で遊ぶチノ・マヤ・メグ・リゼ。そんな本当に他愛もない描写で、このアニメ自体がそもそも他愛もないものなのだが、ここでわたしが注目しやみつきになったのは「水」の表現だ。

チマメ隊とリゼは、夕方からプールに向かい、やがて夜を迎える。その雰囲気の造形にも妥協がなかったのだが、それ以上にわたしが注目しやみつきなのは、プールの「水」が醸し出す癒しだ。水の表現というより、「温水」の表現、といったほうが適切かもしれない。小さいころ遊んだ温水プールの温水の感覚が蘇ってくる、体内に沸き上がってくるかのような……『ごちうさ』第10回の温水プールの表現は、身体的なものだ。この描写から、温水プールの温水の肌触りを感じる。温水プールに入るチマメ隊たちと、画面の前のわたしたちが温水プールを共有している感覚。その根拠をあぶり出すのは難しい。癒しの感覚を言葉で説明してもしきれない。ただ、温水プールの場面のあとで、ココアとシャロの入浴シーンが出て来たのは偶然ではないと思う。

いなり、こんこん、恋いろは。 #3

アニメを肌で感じるとは、不思議な体験だ。なぜ平面でしかないようなもの、その上で永遠に触れられないアニメーションという表現を、肌で感じられるのか。『ごちうさ』では、温水プールの描写が肌で感じられた。『いなこん』では、OPテーマの貢献も絶大なのだが、『ごちうさ』と違った意味で、「場所」を肌で感じられるアニメだ。「場所」とは、もちろん京都。例えば、ロックバンドのくるりが「ファンデリア」「さよならストレンジャー」といった初期のアルバムで奏でていた楽曲から感じられる、京都の空気感。そんなようなものだ。わたしが京都をなんども歩いて身体で覚えているということも大きいのだが、そんな身体性を超越した理由があるように思う。京都という場所を、このアニメを通して肌で感じられる理由が……

方言? 声優? 背景美術? 再現性? いや、1つのファクターに収斂されないような、「場所」性とでもいったものが、このアニメに充満しているのだ。それをキャプチャ画像を使わず文字だけで説明するのは、たいへん難しい。でも、イメージを文字にしようと努力すること、それ自体に価値があると思うのだ。それでは『いなこん』が孕む「場所性」とはなにか? 残念ながら、その問への回答をいまだわたしは用意出来ていない。

ただ、わたしは、保坂和志という小説家が『書きあぐねている人のための小説入門』でいっていた、「創作に『地方』を持ち込むのもひとつの方法」だ、ということをここで思い出す。単なるひとつの方法というよりも、標準語で話す世界よりも「ローカル性」みたいなものを創作に持ち込んだほうがベターだよ、と保坂和志はいっていた気がする。
創作にローカルを持ち込んだほうがベターだという保坂和志のことばから、わたしは一歩踏み込みたいと思う。つまり、単に創作に田舎を持ち込んでもだめなのである。『true tears』以降、雨後の筍のように「地方を舞台にしたアニメ」という11文字でひとくくりにされるような作品群が続発した。しかし、あったはずだ、「単に創作に田舎を持ち込んだだけ」のアニメも。単に地方を持ち込んでローカル性を醸し出そうとしても甲斐がない。大事なのは「如何に地方をアニメに持ち込んだか」だ。『花咲くいろは』『たまゆら』『夏色キセキ』こういったアニメは、割りとうまくいっていた。スタッフの技量のおかげだと思うが、この『いなこん』という作品も、高橋亨という監督のアニメへの地方の持ち込み方が巧かったのかもしれない。

第3回は、主人公である伏見いなりの兄と、ヒロインのうか様の関係性の進展がメインとなる。いなり兄の視点から観ても、うか様の視点から観ても面白いのだが、ここでわたしがもっとも注目したいのは、このアニメ作品の異様とも言える「軽さ」だ。人物のデフォルメ。コミカルなSE。はっきり言って、音の置き方は、軽い。このギャグアニメ一歩手前のコメディーとしての「軽さ」が炸裂した第3回がお気に入りで、録画を観返した。笑いどころも多い。うか様の2次元への傾倒ぶりなんか、ほんとうに面白い。

グラスリップ #4

アニメ作品には分水嶺がある。ギリギリのバランスで、アニメ作品は保たれており、ひとたび決壊すれば凄惨さを招く。その決壊ギリギリの領域にまで時に踏み込むのが、西村純二という監督であり、西村ジュンジという脚本家なのだ。
アニメの理解にも分水嶺がある。決壊すれば、アニメに対する味覚が荒れる。西村ジュンジが脚本を担当したこの回は、アニメに対する味覚の質をわたしたちが試されているかのような回だった。ついつい「これがジュンジ脚本の真骨頂。理解できない奴は頭が悪い、感性がない」というような物言いを、この第4回に対してはしてしまうのだが、そういう失敗を過去に繰り返したわたしは、冷静に中立の立場になる。ジュンジ脚本を土台に出来上がった映像を思い返し、直観する。

グラスリップ』は統一性が映像から見えてこないアニメなんだろう。分裂症的アニメ、と名づけてしまっていいんだと思う。それにしても第4回は特に音の置き方が『true tears』に似ていた。分裂症的な混沌を突き詰めれば、こういったアニメ脚本の極北とでもいったものになってしまう。この回を観たほとんどの人間が理解できなかった。わたしは「ああ、こういう攻め手で来るのね」と思ったけど。あと、『true tears』では岡田麿里だけでなく西村ジュンジも脚本面を支えていたのだなあ、と思った。
それにしても、「純文学アニメ」という6文字ではすまされないよ、このアニメ。『グラスリップ』はいまだに居心地が悪いアニメだ。それはたぶん、『グラスリップ』がスキゾチック、いや「スキゾアニメ」の6文字だからだ。難攻不落だ………

東京レイヴンズ #16

よく出来たアニメだと思う。ただ、「これ、よく出来てるなあ」と思った作品でも、世間と自分の評価のギャップがあったりする。『東京レイヴンズ』は、あまり「よく出来てるなあ」という印象を持たれなかったアニメ。だからこそ、この作品を繁みの中から拾いあげたい! という思いが強くなる。

では、どこが「よく出来てるなあ」と思ったのか? 例えば、選出した第16回後半のバトルシーン。カメラがぐるぐる回って、CGメカの重厚感はもとより、映像技術的にも価値が高いものになっていた。こうした、映像として「よく出来てるなあ」と思うことが、『東京レイヴンズ』は多かった。終盤に向けてうねりが高まっていく脚本・構成含め、ほんとうに『東京レイヴンズ』は「よく出来てるなあ」と唸ることが多かった。

ただ、「よく出来てるなあ、と思った」「よく出来てるなあ、と唸った」だけでは、単なる感想にすらならないだろう。例えばキャプチャ系ブログならば、先述の第16回のバトルシーンの「めまぐるしく回る感じ」を示すことができるだろう。しかし、わたしはキャプチャに頼ってはいけない。でも、キャプチャの代わりになるような映像を切り取る言語を、まだ持てていない。何故か? 努力が足りないからだ。なのでこのブログ、新年度からは少し違ったスタイルの記事を書いて、努力を積み重ねていく所存。

デンキ街の本屋さん #6

似たような内容のエピソードが、異なる2つの作品で観られた。「出来上がった原稿にインクをこぼしてしまって……」というよくある類型のエピソードなのだが、印象に残ったので選んでみた。

まず『マンアシ』。愛徒勇気の担当編集者であるみはりの回想という形のエピソードだったと思う。まだ足須さんが愛徒勇気の仕事場に来る前の話だ。原稿の締め切りがせまっている。必死で原稿を書く愛徒。しかし新米編集者だったみはりが、はずみで原稿にインクをこぼしてしまう。それでも愛徒はあきらめない。男気を見せる。ドリンク剤を大量に注入して朝まで原稿を仕上げたのだ。
まず愛徒勇気のプロ意識がすごい。普段は最低の性格の変態バカなのに、仕事に対する覚悟は、某マンガ家も見習ってほしいくらいで……ゴホンゴホン。わたしも切羽詰まった時は、エナジードリンクの類をよく飲む。ドリンク剤を死ぬほど注入してまで原稿に、自分の仕事に打ち込む彼の姿には感じ入るものがあった。
もちろんみはりちゃんというキャラの魅力も大きい。まずスーツスタイルの女編集者という造型がいいし、愛徒勇気に惚れているという設定も萌える。早見沙織には悪いが、この作品に限っては、能登有沙が演じる音砂みはりに一本取られた印象だ。


そして『デンキ街』第6回の「宿はなし」。先生の原稿の締め切りがせまっている。みんなしてどうにか先生の原稿を完成させるが、はずみでインクをこぼし先生の原稿をだめにしてしまう。赤ちゃん化する先生をどうにか海くんたちが制御し、徹夜でどうにか仕上げた。

じつは『デンキ街の本屋さん』の第1回を観た時、「来たな!」という手応えを感じてしまったのだ。前年の『げんしけん二代目』からの流れで、オタクの生態を活写した作品を求めていた。しかも『デンキ街の本屋さん』という作品は、どうやらオタク文化を「生業」としている人間自体を描こうとしているらしいのだ。これは一本取られた、と思った。しかしギャグ路線とラブコメディ路線に、番組は激しくシフトしていった。

そんな中で、オタク文化を「仕事」としてありのままに抽出できているな、と思ったのが、この、先生の原稿をうまのほねの面々がみんなして手伝う回だ。

この1年、将来のあてもないまま、「仕事」ってなんだろう……とずっと考え続けていた。「社会」や「労働」なんていう、ちっぽけな概念が霞んでしまう、「仕事」という人間の根源に入り込んでいる概念をずっといまも考え続けている。ひとびとはつい、「仕事」という人間の根源のただなかにある概念を見落としたまま、眼の前の「労働」や「社会」に振り回されてしまう。

異能バトルは日常系のなかで #11

急転直下。じつは『異能バトル』第11回を観るまで、9本目に紹介するのは『ガールフレンド(仮)』の第9回にする予定だった。どちらも早見沙織が主軸となる回である。今年も早見沙織は、アニメファンを1年中突き動かした。

早見沙織。おそらく今まででわたしを最高に熱くさせた声優です。」

ウン十年後になにか声優やアニメについて文章をわたしが書くとして、こんな物言いを思わずしてしまうかもしれない。いや、きっとするはずだ。そんな早見沙織は大きな存在の声優だ。「最高に熱くさせた」というのは、「最高の声優」という意味ではない。たとえば沢城みゆきは、演技でわたしを最高にゾクゾクさせてくれた。

そんな早見が『異能バトル』で演じたのは、主人公・安藤の幼馴染である鳩子。夏休みになり、安藤姉弟と鳩子が、海水浴に出かける。「セブンティーン」のようなJK雑誌を読み込み、鳩子は安藤に接近しようとする。実は直前に、鳩子はもうひとりの核となるヒロイン・灯代に「宣戦布告」している。その精算は、結局シリーズ内ではつかないままだったのだが。
JK向け雑誌に載っていた水着をそのまま着たり、日焼け止めクリームを安藤に塗ってもらおうとしたり、鳩子は安藤にモーションをかける。素朴な話だ。しかし描写に映像的な、アニメ的な面白さがあった。映像に取り組む腕の違いが、『異能バトル』と『GF(仮)』を分けた。

わたしが10月期で映像的に面白いと思っているアニメは、『異能バトルは日常系のなかで』と『大図書館の羊飼い』だ。『蟲師』の映像がいい? そんなことはわかりきっている。『異能バトル』と『大図書館』、両者ともにマンガ的な想像力に支えられたユーモラスな画面づくりが印象に残った。

『異能バトル』の11話のコンテは、望月智充。鳩子が主軸となる回では、7話も担当していた。望月智充のわたしとの絆が、また深まってしまった気がする。もちろんアニメーター陣の健闘も大きいだろう。

ヒーローバンク #26

事実上の第1期最終回。
敵に洗脳された親友のナガレを、カイトたちは救おうとする。その最終決戦。「小学生なめんな!」見事カイトたちは敵に打ち勝ち、ナガレを洗脳から解き放つ。
カイトとナガレの友情は蘇った。EDシークエンス末尾の、芝生に寝転んで笑い合う、カイトとナガレの笑顔が、とても綺麗だった。

結びの代わりにひとこと

第1回と、最終回について。

今回、わたしは、第1回をひとつも選出しなかった。第1回をパブロフの犬みたいに選出するのは安易だと思ったからだ。この作品がいいね、と思って、早押しクイズみたいに第1回に即決する。これを戒めようと思った。だから来年以降も、たぶん第1回は選出しないと思う。
それにしても第1回とは不思議な存在だ。第1回を観るのは、暗闇の道を歩くみたいなものだ。第1回では、なにも見えてこない。せいぜい監督と制作会社の名前や知ってる声優の声しかわからないし、それだけではやはり見えてこない。すべてがわかるのは最終回を観てからだ。ウラジミール・ナボコフが書いてたっけ。すべての小説は2回読まれるためにある〜とかそんなふうなこと。

わたしは、さみしい最終回が苦手だ。『TARI TARI』の最終回なんか、『フランダースの犬』の最終回なんかより100倍トラウマで、それでも強烈に時々思い出してしまうから、やっぱりさみしいしんみり最終回は苦手だ。

きょう、3つのアニメ番組の最終回を観た。『天体のメソッド』の最終回は、とてもさみしかった。『大図書館の羊飼い』の最終回は、ちょっぴりさみしかった。『異能バトルは日常系のなかで』の最終回は、幸福感に満ちていた、いい最終回だった。大団円になっていた。ストーリーは完結していないが、主題はうまくまとめられていた。いい気分で『異能バトル』を見終えられた。

カレイドスター』の最終回「約束の すごい 場所へ」のような、最終回がただの終わりではない最終回、ここから何かが始まっていく最終回、鳥肌が立つ最終回、心の底から生きる喜びが湧き上がっていく最終回、永遠に続きが観たいとつい思ってしまう、そんな余韻を残す最終回が、もっと観てみたい――。