『俺修羅』を楽しく観れる理由

『俺修羅』は、観やすい。自分を高めるたぐいの創作ではない。ただ重要なことは、わたしが『俺修羅』を楽しく観れている、という事実。作品を楽しんでいるという事実を尊重しよう。

では、なぜ『俺修羅』は楽しく観れるのだろうか?

ひと言で済ませるならば、「追体験が可能なアニメだから」。
観ていて作品世界にあたかも入り込み、体験できる、『俺修羅』はそんな秀逸かつありふれたラブコメアニメなのだ。

わたしは『俺修羅』を観ているとき、主人公の「鋭太」に視点を同一化する。
そうして、鋭太の体験を追体験できるのだ。
鋭太に視点がすんなりと合わせられるというのが、作品の美点である。

小説を読むときの楽しみとして、創作の世界を追体験するというのがある。
たとえば、夏目漱石の『それから』を読んでいるとき、わたしは主人公の「代助」に視点を重ね合わせ、『それから』の時代と世界を追体験している。

体験を体験できる。それが創作物の美点だ。すぐれた小説で体験を追体験しているときのように、わたしは『俺修羅』を観ていて体験を追体験しているのだ。すぐれたアニメは体験を体験できるのだ。