書くことで誰かに見返りを

初夏の夜、大井競馬場予想屋のおじさんは語る。

浦和競馬の「桜花賞」で、コテキタイという馬を本命にした。コテキタイが勝って、お客さんに万馬券をプレゼントすることがてきた(しかも「勝負レース」だったんだ)。でも今回はコテキタイは駄目だろう……。

こういう風な予想屋のおじさんの語りを「的中自慢」と捉えるのは早計である。桜花賞のような大レースで万馬券を当てたという事実以上に、われらブロガー(物書き)にもフィードバックできる何かが、予想屋のおじさんの語りには込められている。

すなわち、おじさんは桜花賞で「お客さんに万馬券をプレゼントすることができた」ということ。
それは、単に予想屋として予想を当てたというだけではなく、自分のお客さんに見返りを与えたということなのだ。
万馬券を当てたのではなく、万馬券をプレゼントしたのだ。

われらブロガーが予想屋のおじさんの立場だとしたら、予想することは「記事を書くこと」に、たぶん対応する。
だとしたら、「お客さん」に馬券を取らせてあげることに対応するのは、「読者のみなさん」に何かを得させてあげるということ。
何かを得させる、とは、見返りを与えてあげること。
その見返りって、何だ?

ブロガーは、書くことで誰かに見返りを与えたい、という意志を持っていても、その見返りの正体が見えづらかったりする。
見返りの正体が、はっきりと何であるかは、わたしには未だわからない。
それでも、ブログを書くことで、読む人の生活がよりよくなるような、そんな何かを贈りたい、と思っている。
たぶん、ブログは、贈り物なのだ。