アニメを序列づけることと、ランキングを作る行為の違い

これまでも各方面で書いてきたとおり、わたしはアニメに序列をつけることを否定しない。
自己の評価軸を作ることで、アニメがいっそう楽しくなると信じている。

しかし、序列づけとは、厳密なランキングを作ることとは限らない。
いま、レビューサイトで即席で自分のアニメランキング「ベスト10」が作れるし、ニコニコ動画でアニメランキング動画を投稿することもできる。
だが、生半可な気持ちでアニメランキングを作ろうとすると、中途半端ならまだいいにしても、下手したらろくでもない代物が出来上がる。
人が見ているアニメ作品の数には限界がある。せいぜい200から100、あるいはもっと少ない視聴量から選抜しようとすると、必ず行き詰まるのだ。
結果、「これは無理やりねじ込んだんじゃないのか? 心から好きじゃないんじゃないのか?」という作品がランキングの下のほうに見られるということがままある。
それはわたしにしても起こりうることだ。

ただ、個人のランキングはまだましだろう。
コワいのは「世間」なるものが決めるランキングだ。
集合知の結果としてどうしても無難で知名度の高いアニメがランクインするし、そのたびにマスコミに露出しなかった真摯な名作がネグレクトされていく。
そんな弊害がある。
まぁ、キー局が国民が決めるアニメベスト100! みたいな特番を今後やったとしても真に受ける若者は少ないだろうが・・・・・・。

厳密なランキング付けは、素人が手をつける領域ではないと思う。
もしかしたらプロを自覚している方でも。
ならば、いったい序列をつけるとは何なのだろうか?
それは、作品対作品で考えることだ。
作品Aと作品Bを突き合わせる。A>Bだとする。作品Bと作品Cを突き合わせる。B>Cだとする。つまりはA>B>Cということになる。
こうすれば、たとえ3作品しかこの世のアニメを視聴していなくても評価軸を生成することができる。これはランキングではない。ランキングはもっと暴力的なものである。