機動戦士ガンダム第2話『ガンダム破壊命令』もう少しだけ

ところでこの回だけでもさまざまな主要人物をめぐる事態が進行しているのだが、その代表がキャスバルアルテイシアの再会であろう。この兄妹をめぐる事態を最終話まで引っ張らせるわけだが、実を言うとシャア・セイラ兄妹のドラマには昔っからあまり興味ないのよねえ、俺。理由は、なんか華がありすぎるというか。ふたりが向かい合っているビジュアルが華々しすぎるのよね。

星山博之の回想によると富野はシャアとセイラがお好みだったようだが、星山自身はもっと泥臭いキャラクターが好きで、セイラに「軟弱者!」とぶたれるカイ・シデンなんかがお気に入りだったらしい。僕もカイとミハルの悲劇的なエピソードが好きだった。もっとも悲劇的といってもカイの成長をきちんと描けてるわけだからあれは前向きでもあるのだが。

だがしかしセイラは紛れも無くこのアニメの重要キャラの一人であって、セイラを軸にどう『ガンダム』というアニメ自体が描写されていくかは今後も考えなければならない課題であろう。そういえばセイラってたしかにシャアの妹なんだけど、シャアみたいに強烈な言葉遣いをあんまりしない気がするんだよな。より正確に言えば、シャアのエキセントリックさが受け継いでるんだけどそれが薄まっているというか。

そしてもう一つの主要な関係がアムロとブライトの関係である。この回の最後なんかアムロ、ブライトに明らかに敵意剥き出しであり、ブライトさんにしてもそんなにアムロが弾薬使いすぎた事に対しキレなくても……と思う。

なんというか、ジオンのほうがアットホームですらあるんだよな。緊張感の欠如。もちろん裏ではひどい粛清とかやられているんだろうけど、ホワイトベースにあるようなギスギス感はアニメの表面上に見えてこない。ジオンの方はまったり戦争が進行している雰囲気すらある(毎回重要人物が死ぬけどw)対してホワイトベースアムロとブライトのせいではあるがなんか空気がピリピリしてて、観ていて落ち着かない。

最終的にどうなったんだろう、アムロとブライトの関係性は。「親父にも打たれたこと無いのに〜」→「だから甘ったれというんだ〜」で終わったわけじゃないだろう。なんかこの二人、永遠に仲良くならないまま『逆襲のシャア』まで関係を引き継いでしまったのではないんだろうか。だとすると水と油みたいに反り合わないやつは永遠に仲良くなれないままズルズルと過ぎていき、それが真実であるというのが『ガンダム』に入り込んだ富野的なコミュニケーション論なんだろうか。

富野は自分の作品を「いや〜哲学がありますねえ」みたいに褒められても、「自分が作品で”哲学”している」なんてほんとうは思われたくないのかもしれない。富野自身は大言壮語を吐きがちであっても、本当は自分や自分の作品をそんなに高尚と思われるのはいやなのかもな。

だから「殴られずに大人になる奴がどこにいるか〜」なんてほんとのところは思ってなかったのかもしれないし、『ガンダム』シリーズには富野自身の「ポーズ」みたいな成分が多いのかもしれない。今後も一層富野アニメの表層的理解を超えた分析が必要になってくるだろう。それはそうと、アムロとブライトの関係も宇宙世紀を通してなんだか有耶無耶になってしまった感があるが、それこそもっと立ち入って分析するべきなのかもしれない。