『ゆゆ式』にはどんな意味も存在しない。しかし・・・・・・

ゆゆ式』には意味が存在しない。作品としての意味を欠いている。中身を欠いていると言い換えられようか。
ゆゆ式』が6回目の放送を終えようとしている。6回目、未だ本当の味を知らない。『ゆゆ式』というメニューの味を僕はまだ知らない、食べているのに……。

どんな料理にも味がある。どんな料理にも味があるように、どんなアニメにも味がある。たとえ全てのギャグが滑っているアニメにも、味がある。
ゆゆ式』はこれまで100回以上のギャグを披露してきているのだが、はっきり言って少しも笑えない。
しかし今回発見したのは、『ゆゆ式』が慰安となることである。『ゆゆ式』でほっこりできることである。
それが、『ゆゆ式』という料理の味の片鱗か?

どんな料理にも、どんなアニメにも「味」があるように、『ゆゆ式』にもきっと「味」がある。その「味」とは何なのか、今はわからない。けれど……。
ゆゆ式』は意味を欠いたアニメだ。しかし、必ず「味」がある。3ヶ月にわたるディナー・コースを振舞われた先に、僕らにどんな後味が残るというのだろう?
それが、楽しみなのだ。