なぜわたしは『夏色キセキ』が好きなのか

夏色キセキ』をなぜ好きなのかというと、エブリデイ・マジック作品として良く出来ているから、と言うしか無い。

エブリデイ・マジック。一言で言ってしまえば、日常に「ふしぎ」が入り込む。

夏色キセキ』ではオイシ様が日常に入り込む「ふしぎ」に当たると言える。

わたしは最初から非日常の世界観ありきの作品(つまりハードSF、ハイ・ファンタジー)よりも、日常に「ふしぎ」が入り込む作品のほうが普遍性があると考えている。

夏色キセキ』は普遍性を表現できているから好きなのである。

卑近な話題を扱っているということ。誰にでも考えつくようで、アニメでまな板に上げるのは案外難しい内容。
卑近な話題。例えば、1話では紗季の転校に紗季と夏海のケンカが絡んでくる。
1話のような脚本、誰でも書けるようで「誰も書けなかった」。そういう卑近な内容の脚本がずっと続いていくのが『夏色キセキ』の構成。
それがたまらなく心地よかった。

もうひとつ『夏色キセキ』が秀逸だったのが、等身大の「描写」。それは卑近で普遍的な脚本と密接に関わっている。
なぜ等身大の「描写」が可能だったのか。それを今後分析していきたい。