『笑点』の分析
日本を代表する長寿番組『笑点』を考えてみたい。
『笑点』といえばやはり大喜利、ということになるのだろう。『笑点』イコール大喜利ではないが、大喜利は『笑点』の代名詞であるから。
だから『笑点』を考えることはそのまま、大喜利を考えることだった。
とりあえず大喜利にテーマをしぼろう。
テレビ番組の主要3要素はストーリー、キャラクター、演出。大喜利が3要素の見せ方ともスタイルが確立されていることは周知のとおりだ。
大喜利のストーリー性
ストーリー性はそのままドラマ性と言い換えることもできる。
「座布団の枚数が繰り越される」という一点において、じつは大喜利は一話完結ではなく、続きものなのだ。座布団10枚を目指した複数回のドラマなのだ。6色6人の噺家たちのドラマなのだ。
そして歌丸と円楽(=楽太郎)の長年にわたる死闘はフィクションとはいえ人間模様を必然的に描き出しており、また座布団の没収は展開に抑揚を与える。
・メンバー同士のケンカ→人間関係が生まれる
・座布団の没収→最大の笑いどころであり、ある意味クライマックス
じつは「脚本」の一部をなしている回答はそれほど重要ではない。それは視聴者もうすうす気づいている。
近年われわれは先代円楽・こん平の降板、歌丸の司会就任、木久蔵・楽太郎の改名、ふたりの新メンバー加入という「新陳代謝」を経験した。
そういう人物の入れ替わりも確実にドラマなのだ。
もしかしたら、一番変化していないのは山田くんなのかもしれない。
大喜利のキャラクター性
大喜利はキャラクター番組だ。アニメキャラよりもキャラが立っている。小遊三と好楽は若干キャラが薄い。木久翁、歌丸はキャラが濃い。こん平師匠も濃いキャラだった。山田くんはある意味最強にキャラが濃い。歌丸は司会になってから若干キャラが変わってしまったかもしれない。
とにかく一にも二にも、大喜利はキャラクターだ。そのキャラ立ちを担保しているのが何を隠そう「色紋付」なのだ。
アニメの『じょしらく』のキャラクターイメージが、やはり色紋付とつながっているように。
とにかくもキャラクターがドラマに先行しているのが『笑点』という番組、そして大喜利なのである。
そして歌丸や木久翁たちはまぎれもなく「国民的キャラクター」なのだ。
大喜利の演出
特筆すべきカメラワークは少ない。ただ舞台中継という形式上「視点が舞台上にくぎ付けになっている」イメージが強いのは特徴的かもしれない。
最大の演出はオープニングの出演者登場だろう。何気ないシーンに見えてじつはあれが「テコ入れ」だったという事実が「演出」であることを物語っているのだ。