アニメをただ楽しむ、では満足できなかった

最近は「目的としてのアニメ」ということについてずっと考え続けていて、袋小路にはまりこんでいる。手段ではなく目的。アニメのために生きるには。あるいは、アニメのために書くには……。

いつの間にかわたしは、迷い道にはまりこんでしまったのかもしれない。ただ脳天気にアニメを楽しんでいれば、こんな苦しい思いをしないですんだのかもしれない。

それでも、わたしは、アニメをただ楽しむのでは満足できなかった。
もしかしたら、変な言い方だが、「アニメを楽しむ」という生き方を是としなかったのかもしれない、わたしは。自らすすんで、「アニメについて悶え苦しむ」という生き方を選びとったのかもしれない。
奇妙な言い方だが、わたしにとって、アニメについて悶え苦しむような生き方のほうが正常なのだ。

わたしにとって、最早アニメは単なる娯楽ではない。精神的に乗り越えるべき対象のようなものといっていいのかもしれない。

「小説を書くのが楽しいなんてうそだ」と言った小説家がいたと思うが、アニメを観るのが楽しいなんてうそなのかもしれない。
わたしにとって、アニメは使命的な何かであり、アニメを前にして悩み苦しむ運命なのは必然なのかもしれない。

わたしにとってアニメは趣味ではない。使命的な存在である。
わたしという個体自体が使命なのなら、アニメもひとつの使命である。

だからアニメはむしろわたしに負荷を与えるし、アニメで傷ついたってそれは運命的なことの結果なのである。
アニメで傷つくのは必然で、アニメで苦しむのも必然なのだ。わたしにとってはそうであっていいのだ。